ネットワーク・ダイアローグ20周年記念セミナー 報告#1

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ネットワーク・ダイアローグ20周年記念セミナー 2022年9月15日・16日 ロバニエミ、フィンランド
この20周年記念セミナーには、DPI理事の片岡豊の他に、保育・教育分野でダイアローグ実践をされておられる高橋ゆう子さんと通訳の森下圭子さんが参加。ここに3名による報告記事を掲載いたします。

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森下圭子

ED・ADのファシリテーターたちが集まったセミナーは、その取り組みが始まった20年前から自治体ぐるみで積極的に行ってきたロヴァニエミ市で開催されました。ロヴァニエミ市主催の歓迎会があったり、セミナー会場でもあるサンタクロースホテルの宿泊割引があったりなど、市も協力してくれていることが窺えます。それだけでなく、ロヴァニエミ市のHPを見てみると、情報のいたるところで「対話的に」市の政策が話し合われ、考えられていることが感じられます。

セミナーにはロヴァニエミでファシリテーターをしている人たちを中心に、全国各地から40名ほどの人が集まりました。中には、たとえば首都ヘルシンキから来ている「ヘルシンキは対話による取り組みを行っていないけれど」いまも一人で地下活動のように仲間を見つけては自分の仕事の中で時々とりいれているなんていう人もいました。そんな彼女にとっては、志を同じくする人たちとの時間が特に楽しみで仕方ないよう。その他に印象的だったのは、フィンランドではODとADは別物という印象の中で、ひとり、ODから始まってADのトレーニングも受けてどちらも使って仕事をされている方に出会えたことです。

私は日本での現状を知らず、自身が実践している訳ではないけれど、ただしフィンランドでADそれからODも含めていちばん現地で通訳をしていているという視点から報告をしたいと思いました。
 

  1. 「え、準備してないの?」

日本の人がフィンランドのダイアローグに触れる際に、とくに研修やトレーニングなどの場面で何をするのか事前情報が少なすぎて不安になったことはないでしょうか。当日を迎えたときに、つい、見出しのような言葉が心に浮かんできませんか。フィンランドの様々な分野で通訳をしていますが、私じしんダイアローグのときに「何がおこるか分からない」状態で現場に入ることが顕著なので、ふとそんなことを想像しました。もっと踏み込んでいうなら「行き当たりばったりですか?」みたいな感じを受けることもあります。

でもこれは、ダイアローグに誠実であろうとした結果。ダイアローグは体感してこそ、実感してもらってこそ実践に活かせる。さらにいえば、その時にその場に集まった人たちにとって最善の話題と最善の課題を考えたら。つまり行き当たりばったりに見えるのは、その場その場で必要なことに向き合いたいという「いま・ここ」の表れなんですよね。ダイアローグを実践されている方にとっては当然のことなのかもしれませんが、私にとっては毎回とても新鮮なのです。フィンランドで暮らしていても、です。だからダイアローグ関係の通訳では、時どき思ってもみなかった方向に進んでいる感じがすることもあります。

今回のセミナーでは準備の話、準備しつつも手放していく感じ、自分のもともとの性質とファシリテーターとしてのバランスのとりかたなども話題になっていました。今回のセミナーにしても、グループワークを中心にしながら話が進んでいくので、ぱっと見またしても行き当たりばったりに見えたりします。でも、そのじつ、とても入念にセミナーの準備を重ねてこられていたことも話題になりました。主催の中心メンバーたちは、何度も打ち合わせをし、時には焚き火を囲んで話をしたこともあったそうです。一瞬行き当たりばったりに見えるものも、実はとても丁寧に準備が重ねられていて、でもその時間の重なりがあるからこそ、当日細かい手順を手放せるのかもしれません。

ただ一見行き当たりばったりに見えるものに対して、フィンランドの人たちは、日本よりも寛容かなと思う部分があります。先になにがあるか分からない。確実にこれが学べますでなくてもよくって、でも自分自身がどうして行こうかのヒントにあふれる場を大切にする。それは生涯教育が盛んなフィンランドらしさであり、子どもの頃から自然と共生しながら「私が好きなものはこれ」という世界を培い、個性を大切にしている人々らしいとも言えるかと思ったのです。
 

  1. 経験の共有

今回、通訳をしながら改めて感じたのは、セミナーでの学びは一人ひとりが違うということ。同じものを手にして帰るのではなく、経験の共有によってそれぞれがそれぞれに大切なものを手にして帰るのかなということでした。

これだと抽象的すぎるような気もするので、敢えて思い切った言い方をしてしまえば、何が起きたか何があったかではなく、私は何を感じ何に気づいたか、何を学んだかを語る。経験は競い合ったり比べるものにせず、経験は共有する。

そんなふうに話をすると、他者の言動に対して自分のフィルターで他者をジャッジすることもなく、さらに自分のことを純粋に語れるのかなと思ったのです。そしてこうすることで、私たちはよりフラットな関係でいられるようにも思いました。

セミナーにはファシリテーターとして比較的新しい人たちも多く、トムさんに会ったことがなかった方も少なくありませんでした。ロヴァニエミのダイアローグの母と呼ばれる方やトムさんも参加者のひとりです。ダイアローグの取り組みにおいて、経験値はまちまち。また普段取り組んでいる仕事の分野もまちまち。そんな皆が互いに自分の声がすらっと出せる環境になっている背景には、この「経験の共有」をめぐる姿勢もあるのではと思いました。

 

  1. ダイアローグを一人のスキルにしないこと

セミナーの中で、20年前の「はじまり」の話がでてきました。これをTHL(フィンランド保健福祉研究所)がプロジェクトとして自治体に声をかけたとき、トムさんが考えていたことがこの見出しでした。ダイアローグを一人のスキルにしてしまうと、その人が引退したら消えてしまう。だから自治体ぐるみにしたのです。自治体の枠組みに対話が根づけば、人が去っても対話は残る。

セミナーの終わりには、図らずも参加者たちのグループワークから次のようなキーワードがこれからに向けて生まれていました。
ダイアローグをKansalaistaito(カンサライスタイト)つまり、国民のスキルへ
さらに
ダイアローグをKanssalaistaito(カンッサライスタイト)へ。
ちょっとした言葉遊びでカンッサライスタイトは造語ですが、無理やり訳すならば「共にいる(人の)スキル」。

日本の人たちへ向けたトムさんの言葉もここに加えておきたいと思います。
「日本では自治体ぐるみという形でないところでトレーニングが始まったこともあり、一人のスキルに留めないためにはどうすればいいのか。分野があまり偏らないようにもっと裾野を広げてさまざまな人たちに私じしんがアクセスして体験してもらったりするのも一方法でしょうか」。

フィンランドでもまだまだ限定的なED・ADです。さらに言えば、実際にファシリテーターとして活動していらっしゃる皆さんたちですら、もっともっと多くの人たちに届けたいと考えています。そのためには「ダイアローグを全く知らない人たちに紹介するためにダイアローグのことを簡単にまとめた情報パッケージみたいなのがあるといいと思いませんか?」みたいな話がでていました。

ここで終えようと思っていたのですが、ひとつ思い出しました!
このセミナーではトムさんが日本で学んだことを一つ行いました。それは「集合写真を撮ること」。40人ほどの人がひとつにまとまるとか、フィンランドではさっとできることではありません。進行役の二人が「はい、こんどはこのテーブルの人~!」と少しずつ人を動していかないと収拾がつかなくなるのです。しかもなぜかステージの上に乗って写真をとることになり…このステージって、乗ったって7、8人くらいまでしか想定してないよね、というような小さなステージ。途中から人が動くたびに揺れたりメリメリいったりして、それでも40人乗せようとし、仕舞いには女性たちが悲鳴をあげ、男性たちは嬉しそうに笑い、明らかに男子がわざと揺らしてるでしょう!な揺れと笑い声と悲鳴が会場に響き渡っていました。この男子感というか「やめてよー!」の女子感も、懐かしい。ここでジェンダーな分け方をしてしまいましたが、さらに言うと、「20年前このプロジェクトが立ち上がったとき、女性の上司は自らが『トレーニングを受ける!』と名乗りをあげ、男性の上司はそういうのを面白いからやってみたいと言ってくれそうな男性部下に声をかけた?」と皆さんの話を聞いていて思ったのでした。フィンランドは男女平等がという話が目立ちますが、こういうちょっとしたところに、時々なにか感じるところはあるんです。でもって男女を問わず、改めて思いましたが、ダイアローグを実践されている皆さん、ファシリテーターとして活動されている皆さんは、好奇心旺盛で何が起こるかわからないをものすごく楽しみにしそうな人たちだなという印象でした。

森下圭子